レクチュア ・コンサート 2006‐2007年度 第2回 通算21回
2007年2月17日(土) 15時より
於:Studio Virtuosi

 Hugo Wolf 作曲 "Frühere Lieder" フーゴー・ヴォルフ の 「初期の歌曲」  

バリトン:川村 英司

ピアノ:東 由輝子

 新年を迎えてもう一月以上が経ちました。皆様方には新年の良き出発をされたことと思います。
 今年こそ戦争の無い年にしたいものです。軍需産業が栄えない年にして欲しいものです。兵器を作れば使わなくてはなりません。ブラックユーモアだったのかも知れませんが、どこかの放送か何かで「日本の憲法第9条を世界遺産に」登録しようと言うのがありましたが、本当に世界遺産に登録して守りたいものです。1930年生まれの僕は軍国少年として教育を受け、敗戦のその瞬間まで、竹槍で米兵を二人以上殺してからでなければ死ねないと心に誓っていたのです。捕虜としての恥ずかしさを受けずに「天皇陛下万歳!」と叫んで勇敢に死ね!と教えられたのです。

日本は神国であり、いざとなれば神風が吹いて日本が勝つのだと無理やりに思い込まされたのです。どんなことがあっても戦争は嫌!No War ! と叫び続けることが我々年寄りの務めではないでしょうか?戦争ごっこ世代の政治家に日本を任せてよいのでしょうか?何処でも、勝っても、負けても戦争は悲劇を招くのです。

 軍備拡張の前に、食料の自給率を80%に高めて、我々が腹八分目で最悪の時にも食いつなげるようにしなければならないのではないでしょうか?

 ゴア元米副大統領の放映を6CHで見ましたが、地球温暖化にもっともっと神経を使うべきと思いました。勿論ブッシュ以下のアメリカ石油産業のひも付き政治家が失脚することが必要ですが、地球の4分の1を汚しているアメリカと間もなく4分の1になるであろう中国が真剣に考えてくれなければ話にならないのですが、我々の国ももっと真剣に考えなければいけないことだと思います。我が家では数年前から太陽熱発電の装置をつけ、貧者の一灯ですが、協力しています。政治屋が税金の無駄遣いを止めれば、補助金などを出し、各家庭に太陽光発電や生ごみ処理機を装置して、石油の使用量を減らすことは可能だと思います。政治献金をしてくれる大企業にしか興味のない政治家は選出しないことです。

 今回は今シーズンの2回目として、ヴォルフのあまり知られていない曲を取り上げます。いわゆるヴォルフが気に入って出版した曲と出版しなかった曲があり、彼の生存中に出版されなかった曲を中心にして、1888年のいわゆる彼の作曲の第一回の噴火「メーリケ歌曲集」以前の時代の曲を取り上げます。これらは彼の18歳以前に作曲した歌曲です。

 フランスの作曲家Duparcのように死ぬ際に自分の気に入った10数曲以外は破棄して残さなかった作曲家もおりますが、多くの作曲家はいろいろな形で自分の作品を残していますので、我々は初期、中期、後期の作品として比較し研究することが出来ます。100年以上も経って曲が発見される場合もあるのです。

 1875年9月、15歳の時にヴォルフは現在のSlovenj Gradec(当時のWindischgraz)から音楽の勉強のためにヴィーンに出て来ました

 それまでに作曲した曲はOp. 1と自分で名付けたピアノソナタなどです。最初に1875年の4月11日から29日かけて作曲したピアノソナタの初めの部分を弾いて貰いますので聴いて下さい。

 話は少し戻りますが、1860年3月生まれのヴォルフの学校生活は今流に言えば悪餓鬼というのか、個性的というのか、波乱に富んでいました。とどめはグスターフ・マーラーと一緒に勉強し、一時期は一緒に下宿までしたヴィーン音楽学校でも退学処分になったことです。それまでにも問題児であったことは確かで、幼少から転校をしています。

 ヴィーンに出て来たばかりのヴォルフはヴァーグナーの「タンホイザー」を11月22日に国立オペラ座で聴いてものすごく感動しました。是非巨匠に会いたいと思いホテルのドアボーイの真似までして巨匠にやっと会うことができたのでした。

 ヴォルフは当時ヴィーンで非常に有名で音楽界を二分していた対照的な二人の作曲家であったブラームスとヴァーグナーに自分の作品を見てもらい助言を得ようとし、色々と努力をして二人の作曲家に接近しようと努力をしました。

 やっと会うことの出来たヴァーグナーは多忙であったので「若い君の作品を見て、今君の才能を云々することは出来ません。もっと勉強をしてからもう一度持ってきてください。その時はゆっくり時間をかけて作品を見ましょう」と丁寧に、評価することを断ったのです。

 一方ブラームスは丁寧に彼の作品を見て、当時有名な音楽理論家ノッテボームを紹介して音楽の基礎の勉強をするように進めました。しかしヴォルフにとってノッテボームの和声法の授業は退屈極まりないものであったようで、授業への反感は結果としてブラームスへの反感に変わったものと思われます。
この二人との関わりが後にヴォルフが批評家として「ヴィーナー・サロン・ブラット紙」に執筆した時のブラームスに対する非常に辛辣な酷評の原因になったと思われます。

 ノッテボームはシューベルトの作品目録を編集したり、ヴィーンの音楽界に色々な功績のあった音楽学者でした。

 今回はヴォルフが作曲をし始めた時代の曲、いわゆる全集が出来るまで印刷されていなかった、初期の作品を紹介したいと思います。彼が15歳までの間にどのような作品を一人の聴衆として聴いていたのか分かりませんが、彼の父親は大の音楽好きで、家庭で室内楽などを楽しんだようですから、歌も聴いていたことと思いますが、WindischgrazやMarburgの田舎ではそんなに良い演奏者を聴くことは出来なかったと思います。

 彼が最初に作曲したと思われている歌曲は次の曲です。Op. 3 (参考資料1)としてNacht und Grab, Sehnsucht, Der Fischerの3曲をまとめましたが、10何年か後の彼の自筆とは非常に違っていますのでNacht und Grabの第1ページ(参考資料2)と後の自筆譜[ 1888年作曲のSelbstgestandnis ] (参考資料3)で筆跡を比べてください。

 最初に歌う曲は "Nacht und Grab" でMarburg か Windischgrazで1875年9月中旬に作曲しています。Heinrich Zschokkeの詩に作曲しています。その後でWienに出掛けたのだと思います。

 ヨーロッパでは新学期が10月から始まりますことを、念のために申し加えます。10月から2月までが冬学期(Wintersemester)で3月から6月いっぱいが夏学期(Sommersemester)です。

この曲は誰の音域に合わせたのか、それとも詩の意味からなのか低く、音域もそんなに広くはありません。c' からes''までで、僕でも原調で歌えます。



Nacht und Grab (Heinrich Zschokke)

夜と墓  原詩:ハインリヒ・チョッケ

Sei mir gegrust, o schöne Nacht

挨拶を送ります、ああ、美しい夜よ、

In deiner hehren Sternenpracht; 神々しくまたたく星々を擁し、
Mit weichen Handen bietest du おまえはやさしく手をのばし、
Des Staubes Kindern deine Ruh'. わたしたちに安らぎを与えてくれる。
  

O Bruder, schlummert sanft den süssen Schlummer, ああ、同胞よ、いまは安らかにまどろむがよい、
Ein neuer Tag weckt euch zu neuem Kummer. 目覚めれば、また新たな苦痛に苛まれるのみ。
  
Auch in den stummen Gräbern ihr, おまえたちは墓のなかで黙し、
Ruht sanft von eurer Arbeit hier; 生きる苦労を忘れて眠っている。
Vergessenheit ist euer Los 忘却こそおまえたちの安らぎ、
Und euer Obdach dieses Moos. 苔むした墓はおまえたちの宿。
   
O Brüder, schlummert sanft des Todes Schlummer,  ああ、同朋よ、いまは安らかにまどろむがよい、
Kein neuer Tag weckt euch zu neuem Kummer.  目覚めれば、また新たな苦痛に苛まれる日はない。

 全集ではEin neuer Tag weckt euch (参考資料4)と印刷されていますが、自筆楽譜ではDer neuer Tag weckt euch(参考資料5)と書かれています。意味の上ではそれ程の違いはありませんが、文法上はDer neue Tag weckt euchになるのではないでしょうか?もとの詩が掲載されている詩集を持ち合わせていませんので、確かなところは分かりません。 伴奏で38小節の和音をヴォルフは8v…. と記しているのが抜けているので直さなければなりません。音楽の流れも 8v…. を生かさなければ、不自然だと思います。

 次の曲も同じようにGrabがテーマの歌を歌います。

 Nacht und Grab の楽譜は初めてヴォルフ全集で出版されましたので、自筆楽譜と出版楽譜間の相違は(前述の大切な和音の問題はありますが)あまりありませんが、この曲(Ein Grab)の初版 (参考資料7)は1936年でどういう訳か自筆楽譜 (参考資料6)とはかなりの変更があります。その経緯に関してはわかりません。しかも全集 (参考資料8)は殆ど36年の初版を踏襲しているので初版のままで、僕には不思議に思います。初めの部分でその違いを比較してください。

 Ein Grab1876年12月8日から10日の間にヴィーンで作曲された歌で、詩人はPaul Güntherです。同じくヴォルフが作曲した初期のものです。この時期はWienに出てきて1年以上経っており、故郷で聴いたのとはかなり違う、すばらしい音楽、演奏家、作曲家を知り、その刺激はすごかったと思います。グスターフ・マーラーと一緒に生活をしたのですから、それは充実した最初の1年だったと思います。

Ein Grab ( Paul Günther)

ある墓 原詩:パウル・ギュンター
  

Wenn des Mondes bleiches Licht 青白い月の光が
Auf das dunkle Grab hier fällt, 暗い墓を照らすと、
Dann aus meinem Auge brichtわたしの眼から
Die Tärn, die keine Macht mehr hält.
止めどなく涙が溢れ出す。
  

Keine Blum am Grabe blüht,花も供えられず、
Keine Seele denkt daran;詣でにくるものもなく、
Kalter Wind vorüber zieht - 冷たい風が吹きぬけるばかり――
Was deckt das kühle Grab, sag an?この冷たい墓はだれの墓。
  

Was des Grabes Hülle deckt, この墓がだれの墓でも、
Kannst du dann nur ahnen,おまえにはわかっている、
Wenn dich gleicher Schmerz bewegt,おまえとおなじ苦しみに
Der mag dich daran mahnen.苛まれたものの墓だと

 この二曲を聴いて皆さんはどのように、また誰に影響を受けていると思われますか?初期の作品は色々な作風を持っていて、誰から影響を受けたのかと考えても、いろいろな作曲家のいろいろな部分を模倣していますので、中々誰とは言いにくいです。シューベルトの影響が強かったり、シューマンの影響が強かったり、リストかなと思ったりしますが、ヴァーグナーの影響はその割りには出ていない様に思います。(メーリケ歌曲集(1888年89年に作曲)にはとても強くヴァーグナーの影響を感じられる歌曲がありますが。)部分部分で色々な作曲家の影響を受けていると思います。これから歌う全て曲は、若いヴォルフにとっては、聞くもの、見るもの全てが刺激であり、貪欲に何でも吸収しようと色々な試みをしているように思います。

僕も1957年にオーストリア政府給費留学生として渡欧し、目が回るようなすごい刺激を半年以上受け続けたことを思い出します。音楽会を聴くことだけでも非常に忙しく、どうしたら勉強する時間がとれるかと、音楽会に行かないように選択することの困難に時間が取られるほどでした。本当に夢中で何でも吸収しようとしたことが夢のようで、数年前の出来事のように思い出されます。
 WolfもWindischgrazから出てきての刺激は僕よりずーっと強かったのではないかと思います。感受性の強く、行動力のあるヴォルフのことですから最初の一年で進化した収穫はすごかったと想像できます。

次の曲はシューマンも作曲しているハイネの叙情的間奏曲の詩で「詩人の恋」の4番目の歌です。

Wenn ich in deine Augen seh(Heine)きみの瞳を見つめると(ハインリヒ・ハイネ)
  

Wenn ich in deine Augen seh,きみの瞳を見つめていると、
So schwindet all mein Leid und Weh;悲しみも苦しみも消えてしまう。 
Doch wenn ich kusse deinen Mund,きみの口元にくちづけすると、
So werd ich ganz und gar gesund.すっかり元気をとりもどす。
  

Wenn ich mich lehn an deine Brust,きみの胸にもたれかかると、
kommt’s uber mich wie Himmelslust;天の懐に抱かれるように心地よい。
Doch wenn du sprichst: ich liebe dich!でもきみに「好きよ」と言われると、
Dann muss ich weinen bitterlich.感きわまって涙がとめどなく流れ出す。

この曲はシューマンやメンデルスゾーンの影響も感じれるようにも思います。もっともシューマン(作曲時は30才)の内向的な表現とは違って、16歳のヴォルフは外向的なメロディーで表現しているように思います。

 次もシューマンの有名な歌と同じ詩で、ハイネの「帰郷」からの詩です。ハイネのイロニーをシューマンはほんの少し単語を変えることでイロニーのない詩にして作曲していますが、ヴォルフも詩の最後を変えてイロニーをなくして作曲していると思います。

Du bist wie eine Blume (Heine)汝は花のごとく(ハイネ)
  

Du bist wie eine Blume,汝は花のごとく
So hold und schön und rein;ゆかしく、うるわしく、きよい
Ich schau dich an, und Wehmut汝をつくづく見れば悲しみの想い
Schleicht mir ins Herz hinein.わが胸に忍び込む
  

Mir ist, als ob ich die Händeあたかも、わが手を
Aufs Haupt dir legen sollt,汝があたまにのせて
Betend, dass Gott dich erhalte祈る、神のめぐみあれと
So rein, so schön und hold.きよく、うるわしく、ゆかしく

(ハイネは So rein und schön und hold. と詩作した)

2001年にChristian de Bruynさんの伴奏で「ハイネの詩によるリートの夕べ」をしましたが、その時にハイネの詩のイロニーを表現したとされているホーフェン作曲のこの歌曲を歌いました。一寸歌ってみますのでお聴きください。なんとなく表現が違うところがありましたでしょうか?その時には6人の作曲家同じ詩の曲を歌いました。この詩に作曲した作曲家は非常に多くて(百人以上いるのではないでしょうか)選ぶのが大変でした。ついでにシューマンのこの詩につけた歌も歌ってみます。

次の詩はシューマニアーナの作曲家ローベルト・フランツの歌曲が有名ですが、ヴォルフと比べるといささか見劣りがしますので比較はいたしません。大学生の頃は気持ちよく歌っていたのですが、少しは進歩したのでしょう。フランツは1ページの曲ですが、ヴォルフは3ページに書きました。細かく動く伴奏に右手の音を書くためにページを使ってしまったことも原因かと思います。

また自筆楽譜[ 1878年 ](参考資料9)と、初版A [ 1903年出版 ](参考資料10A)ではZiemlich erregt と言う速度標語が ?Liederstrauss“ 初版B [ 1927年出版 ]](参考資料10B)と全集[ 1980年 ](参考資料11)ではEtwas Geschwindに変わっていますが、1903年以降の初版、全集もヴォルフの没後に出版されたので自筆楽譜に従うべきと思われますので、不思議なことです。

Aus meinen grossen Schmerzen (Heine)僕の大きな悩みから(ハイネ)
  

Aus meinen grossen Schmerzen僕の大きな悩みから
Mach ich die kleinen Lieder;小さな歌を僕は創りだす
Die heben ihr klingend Gefieder歌は鳴り響く翼を張って
Und flattern nach ihrem Herzen.彼女の心へと飛んで行く
  

Sie fanden den Weg zur Trauten,歌は恋しい人のもとへ届いた
Doch kommen sie wieder und klagen,しかし戻ってきて嘆いている
Und klagen, und wollen nicht sagen,嘆いてばかりで告げてくれない
Was sie im Herzen schauten.あの人の心の中の何を見たかを

シューベルトと同じ詩でヴォルフが作曲した歌(ゲーテの詩など)が幾つかありますが、シューベルトはどちらかと言えばシンプルに、ヴォルフは大仕掛けに作曲したようですが、この曲では小さな歌、心の細やかな動きが感じられます。(初期の作品でもDer Fischerなど大掛かりです。さわりだけ一寸歌ってみます。)   これから歌う歌はヴォルフの没後直ぐにFridrich Follがヴォルフのそれまでに出版されなかった初期の作品を集めて「若き日の歌曲集」(Lieder aus der Jugendzeit)と名付けて出版(1903年)しました。

この歌曲集の中のAn *** とTraurige Wege 、その他にMorgentau とWandererliedの4曲をグラーツに住んでいたDr. Hauseggerにヴォルフの父親が彼の判断が聞きたくて送ったので、それについての意見がフーゴーの所に楽譜とともに送られてきました。それについて1878年4月10日に両親宛に(参考資料12)手紙を書いています。

 「数日前に僕はハウスエッガー博士から楽譜と手紙を受け取りました。・・・・・彼が歌曲についてどのように述べているかを書きます。≪大体においてメンデルスゾーン的な性格を持った歌曲で、見通しとしては悪くない印象を受けました。・・・・・≫この彼の言葉に僕は非常に憤慨しています。こんなにひどい侮辱は決して受けたことはありません。メンデルスゾーンの模倣だなんて・・・・・」

勿論メンデルスゾーンにも良い歌はいくつもあり、ヴォルフが憤慨することはないかとも思いますが、実際のところメンデルスゾーンで1ステージ歌う気にはなれないのが僕の本音です。

最初の歌が An ・・・・・ An Silvia「シルヴィアに」と言う歌がシューベルトにありますが、特定の人の名前を入れないで「誰に」と言う感じのタイトルでレーナウが詩を書きました。

An * * * (Lenau)・・・・・に(レーナウ)
  

O wag' es nicht, mit mir zu scherzen,おお、僕をからかったりしないでおくれ
Zum Scherze schloss ich keinen Bund;からかわれるために付き合っているのではない
O spiele nicht mit meinem Herzen;おお、僕の心を弄ばないでおくれ
Weisst du noch nicht, wie sehr es wund?どんなに傷ついているか分からないのですか?
  

Weil ich so tief für dich entbrannte, 僕はあなたのためにかくも強く燃え
Weil ich mich dir gezeigt so weich, あなたに僕の心のうちをしめせずに
Dein Herz die süsse Heimat nannte,あなたの心に僕の優しい故郷を偲び
Und deinen Blick mein Himmelreich:貴女の眼差しに僕の天上の国を見ているのです
  

O röttle nicht den Stolz vom Schlummer, おお、誇らかなまどろみを目覚めさせないで
Der süsser Heimat sich entreisst,この心地よい故郷を捨て去り
Dem Himmel, mit verschwiegem Kummer,天国に、心の苦しみに黙して耐え
Auf immerdar den Rücken weist.永遠に背を向けているものを

 この歌い始めの感情をどの程度にするかで表現はかなり違ってくると思います。悲痛な心の叫びにするか、ちょっとした苦しみを表現するかで声も変わってくると思います。全て歌う人がどのように心で感じて歌うのかという問題ですが、時々何を感じて歌っているのかと疑問に思うリサイタルに出会うことがあります。

 36年も昔のことですが、Weissenborn先生にヴィーンではEin Jüngling liebt ein Mädchen (詩人の恋の11番目の歌) をふざけた感じで歌うのかい?と訊ねられたことがあります。あるヴィーンの歌手が非常にふざけたと言うか「ある若者が乙女を恋し、その乙女は違う若者に恋をし、その若者は又違う娘と結婚しました。」と言うくだりを少々滑稽に歌ったそうで、ビックリしてしまい僕に聞いたようでした。詩人の恋を歌った時に話すべきでしたが、すっかり忘れていましたので、一寸だけ歌ってみます。いかに心使いで表現が変わってくるか良い例になるかと思います。



 次に歌う歌は「若い頃の歌曲集」の3番目の歌です。この詩もレーナウの詩です。大変にロマンティックな詩だと僕は思います。内容は非常に分かりやすいのではないでしょうか?

Traurige Wege (Lenau)悲しい道(レーナウ)
  

Bin mit dir im Wald gegangen;僕はきみとふたりで森の中を歩いた
Ach, wie war der Wald so froh !ああ、森はなんとよろこびに満ちていたことか!
Alles grün, die Vögel sangen,すべては緑に映え、小鳥たちは歌い
Und das scheue Wild entfloh.臆病な動物たちが見え隠れしていた
  

Wo die Liebe frei und offen愛のささやきがまわりのすべての木陰から
Rings von allen Zweigen schallt,自由に伸び伸びと響いてくる中を
Ging die Liebe ohne Hoffen traurig愛の思いは希望もなく、悲しく
Durch den grünen Wald.−緑の森の中を通り抜けた
  

Bin mit dir am fluss gefahren;僕はきみと川に沿って馬車で行った
Ach, wie war die Nacht so mild!ああ、なんと穏やかな夜であったか!
Auf der Flut, der sanften, klaren,ゆったりと流れる、澄んだ川の流れの上に
Wiegte sich des Mondes Bild.月影が揺れ動いた
  

Lustig scherzten die Gesellen;若者たちは楽しげに騒いでいた
Unsre Liebe schwieg und sann,僕たちの愛だけが沈黙し、考え込んでいた
Wie mit jedem Schlag der Wellen打ち寄せる波のように
Zeit und Glück vorrüberrann.−時と幸せが過ぎ去って行った
  

Graue Wolken niederhingen,灰色の雲が重苦しくたれこめる
Durch die Kreuze strich der West,西風が十字架を吹き抜ける
Als wir einst am Kirchhof gingen;かつて僕たちが墓地を歩んだ時に
Ach, wie schliefen sie so fest!ああ、墓地はなんと深い眠りに沈んでいたことか
  

An den Kreuzen, an den Steinen墓地の十字架、その墓標にも
Fand die Liebe keinen Halt,愛はよりどころを見出せなかった
Sahen und die Toten weinen,死者たちは泣きぬれる僕たちをみていただろうか
Als wir dort vorüberwallt?僕たちがそこを通り抜けた時に?




 過去の良き思い出と現在の苦しみ、悲しみ、その違いを4分休符一つの間に変えなければならないのです。また或る時には休符なしで気持ちを全く変えなければならない場合もあると思います。

 勿論詩を良く読めば誰にでも分かることなのですが、メロディーや発音にとらわれていると、ともすると肝心なことを見失うのが我々声楽家なのでしょう。

シュトゥルムという詩人についても、この詩についても、全く分かりませんが、ヴォルフの作品として優れた歌だと思います。又表現もし易い歌だと思いますが、皆さんはどのように感じられましたか?



Über Nacht (Sturm)夜のあいだに(シュトゥルム)
  

Über Nacht, über Nacht夜のあいだに、夜のあいだに
Kommt still das Leid,悲しみは静かに訪れる
Und bist du erwacht,おまえが眼を覚ますときは
O traurige Zeit,おお、それは悲しみの時刻
Du grüssest den dämmernden Morgenおまえは次第に明けてくる朝を迎える
Mit Weinen und mit Sorgen.涙と苦しみを持って
  

Uber Nacht, uber Nacht夜のあいだに、夜のあいだに
Kommt still das Gluck,幸せがしずかに訪れる
Und bist du erwacht,そしておまえが目を覚ます時には
O selig Geschick,おお、至福のめぐり合わせ
Der dustre Traum ist zerronnen,悪夢は霧散して
Und Freude ist gewonnen.よろこびはおまえのものとなる
  

Uber Nacht, uber Nacht夜のあいだに、夜のあいだに
Kommt Freud´ und Leid,よろこびと悲しみが訪れる
Und eh´ du´s gedacht,おまえがその意味を考える間もなく
Verlassen dich beid´よろこびと悲しみは立ち去り
Und gehen dem Herrn zu sagen,主のもとに帰って言うのだ
Wie du sie getragen.おまえがどのようにそれを担ったかを




次にハイネの詩に作曲した歌を歌います。この曲は「叙情的間奏曲」の64番目の詩です。「詩人の恋」はこの詩集の中から16曲選ばれたのです。

Wo ich bin, mich rings um dunkelt (Heine)僕のまわりは暗く(ハイネ)
  

Wo ich bin, mich rings umdunkelt僕のまわりは暗く
Finsternis, so dumpf und dicht,深い闇に閉ざされている
Seit mir nicht mehr leuchtend funkelt,僕に明るく瞬くのを止めてから
Liebste, deiner Augen Licht.恋人よ、貴女のつぶらな瞳が
  

Mir erloschen ist der susen僕から遠ざかり、消えてしまった
Liebessterne goldne Pracht,愛らしい、金色に輝く愛の星が
Abgrund gähnt zu meinen Füssen−深淵が僕の足元で口を広げている−
Nimm mich auf, uralte Nacht!僕を抱き上げておくれ、太古の夜よ!




この詩は Neue Gedichte の Neuer Frühling“全44編中の 38番の詩です。詩集「帰郷」はイロニーをこめて詩作したようですが、「新詩集」の「新しい春」のこの歌ではどのようにイロニーを皆さんは感じられますか?確かに「春」に対する考え方、捉え方には違った面はありますが、僕自身はハイネのこの詩に共感することの方が殆どですので、イロニーとして捕らえることが出来ないように思えるのですが、如何なものなのでしょうか?



Ernst ist der Frühling (Heine)春はきまじめだ(ハイネ)
  

Ernst ist der Frühling , seine Träume春はきまじめ、そのはぐくむ夢は
Sind traurig, jede Blume schaut悲しく、それぞれの花は
Von Schmerz bewegt, es bebt geheime苦悩にふるえ、夜鳴鶯の歌声にも
Wehmut im Nachtigallenlaut.哀しみがひそかにこもっている
  

O lächle nicht, geliebte Schöne,おお、微笑まないでおくれ、恋人よ
So freundlich heiter, lächle nicht !そんなにやさしく、明るく、微笑まないで!
O, weine lieber, eine Träneおお、それよりも泣いておくれ、顔に流れる
Küss ich so gern dir vom Gesicht.涙に口づけする方が僕は嬉しいのだ

詩の解釈の仕方で表現が違ってくること。詩を解釈することは全く個人的な問題ですので、個性が大切と言うことで問題はなくなるのですが、その個性をどのようにしてある程度の聴衆に納得してもらうことが出来るのか?とても難しい問題だと思うのですが、詩があっての声楽ですので、歌曲でもオペラでも、宗教曲でもオラトリオでも言葉を歌うその瞬間瞬間に聴衆が詩の表現を理解してもらえなければ歌手としては問題だと思います。

歌っている言葉が聞き取れない歌手の多い昨今、何故なのでしょうか?演歌や流行歌で言葉の聞き取れない歌手は存在するでしょうか?言葉が明瞭に聴衆に聞き取れるように発音されていないことは、歌手の生命に影響があると思うのです。有難いことにクラシックでは関係ないようですが、それでは本当の声楽家ではないように思います。しかし「ベルカント唱法は声のために言葉を犠牲にする!」とのたまう声楽教師の発言を聞いては、日本の声楽界は何処まで落ちるのだろうかと背筋が寒くなるのですが、皆さんのご見解はいかがでしょうか?イタリアの一流のオペラ歌手で言葉が聞き取れない歌手は誰でしょうか?

話は少しずれましたが日頃不思議に思っていることなので伺いました。

今日はここまでにいたしますが、質問がございましたらどうぞ。